良かった、良かった、本当に良かった~
このところ、ずっと「相手に伝わらない」と言っていた件。
昨日、本人とじっくりと話をする機会を得て、話すうちに私の洞察力の信じられる部分と、振り返る部分に気づかせてもらえました
本当に話せて良かった、腹を割ってお互いに伝えあえて良かった
気まずいままで、終わるのかと、それでも仕方ない、終わったことだと言えばそれで終わったはずのことなのですが、どうも私の気持ちが収まらず、問いかけをしてみて良かった、その判断をして良かった、間に合って本当に良かった
紐解いていくと、それは昔の自分の姿だったという…なるほどな話で
あの状態の時だとこういう反応になるよな~、と納得。全部が腑に落ちた瞬間でした。
他人との間に壁というか、水のクッションを置くような距離の取り方をしている状態。この状況だと、自分は傷つかないけれど、他人からの気持ちや感情も感じることが出来ないのです。本当はありがたく、うれしい感情を他人から向けられたとしてもそのクッションがある限り、ダイレクトに受け取ることができないからずっと他人事のような距離感なのです。その壁やクッションを自分の前から取り去ることなんて怖くてできたもんじゃない!そうそう、そうだったなぁ…と
「そっかぁ、それじゃ、あの対応になるわな」と合点。
そういう状態にあることはよほどスピリチュアルな世界にいるか、自分を客観的に見ることができないと判らないと思う。特に若いと、その期間が長いとそれは日常でそれが普通になっているので。
そしてそこから脱却するか、否かも自由意志なので。
しかし、「そこを教えて欲しい」と言われたことで私の自分への不信感を持った人を見る目の確かさもとても救われたのです!!
あー、私が見て感じたこの人の中の一筋の純な光は本物だったんだ、良かった、と
現状からの脱却は難しくもあり、簡単なのかもしれない、するかも判らないけれども、話しているその時は確かにクッションは薄くなっていたのも私としては嬉しかったな
もっと早くに手を差し伸べたら良かったのか? とも思ったのですが、それも多分、伝わらなかったタイミングだったろうと思ったりします。
ヒーラーはアラジンのジーニーと一緒で「助けて欲しい」と言われなければ助けることは出来ない。
こうなる前に何度となく、「助けたい」と思ったタイミングはあったけれど、止めた。それはお節介や自己満足でしかないと判っているから。
でも…最後は自分の意志に従ってアクションを起こしてみた結果の好転だったわけで、どっちが正しいのだろうか