”渇望” から ”GIFT” へ
ちょっと忘れかけていた想いが思い起こさせられる出来事がありました。
私の周りの人々を観察していて思い出したのです。
その人はどんな出来事に関しても批判的で、さらには自分の意見や経験が一番だと思っているのです。
だから、事実と違う事を言っているから注意しても逆ギレるのです。
そして、他人を自分の言う通りにコントロールしようとするのです、もはや誰も聞く者はおらず、逆に倦厭されているのも気付いているのか、気付かないフリをしているのか判らない有り様。
そんな風だから、周りにイライラした波動をバラまいてくる、こちらとしては迷惑&それに染まらないようにするだけで精いっぱいになってしまいます
今まではどうしてもそれに巻き込まれがちになっていた私ですが、一昨日、ちょっと、距離を置いて見ることが出来たのです!
「この人はなんで、こうなんだろう」 と考えた時、思い出したのです。
『ホンマでっか?!TV』である先生が「子供の頃に存分に親が抱いて、愛して、物を与えてあげなさい。そうすると、自然に子供は満足して欲しがらなくなる」と言っておられた、つまりは子供時代に親からの満足いくくらいの愛情をもらえれば、その後のその子供の人生(性格)は豊かになるということです
これを聞いた時に私はすごーーーーく納得したので、今でも鮮明に覚えているのです。
子供は何も知らないよう、前世はリセットして産まれてきて、親に育てられます。親が全ての規範になるのです。それが、どんなに未熟な親でもそんなことは子供は解らないから…「親は大人で万能だ」と思って疑わないのです。
でも、実際、当時の親の年齢になってみたら、「こんな状況で大人だと思っていたのか?!」と愕然としてしまう精神状態。
だから、子供に十分な対応も出来ないのも今になれば理解の範疇ですが、子供だった頃に受けた傷は残るのです。
得られなかった存分の愛情も ”渇望” となって残る。
特に兄弟姉妹が多い場合はそうなるのは必然でしょう。
その人もまさに兄弟姉妹が多い人です。そして、未だに『親神話』に取り着かれていて、「自分の親は良い親で、自分は言われる事を聞いてきたし、親の為に生きてきた」そうだ。それを現代の思春期の人々に押し付けるのです。
時代も思考もまるで変わってきているのに…
自分の存在を誇示するかのように、押し付けてくる。
いつ何のタイミングだったか、『愛を他に求めてはいけない。愛は自分で生み出すもの。それは自己愛から始まる』という事を知らされました。
他に求めてしまうから、他人を追ってまで押しつけてしまうことになる。
自分で自分を認め、愛情で満たせば他人を追うことはなくなる。
先日、言葉は違うけれども同じ内容の事を言われました。
私がその人にパートナーシップについて質問した時のこと、『あなたはこれから出会うパートナーにとって自分が”GIFT(贈り物)”であると思っていますか?』と聞かれたのです。
私は「えぇ、多分、はい」と答えたのですが、その方は『本当に?!あなたの答え方はあまりに早かったから(疑わしい)』と言われました そして続けて 『あなたはカードも出来る、パンも焼ける、エッセンスも選べると色んな事が出来る素晴らしい人なんです、それを出会う誰かに提供できる人だと判っていますか? あなたは”GIFT”なんですよ!! そして、逆にあなたも出会う彼から”GIFT”を受け取れるのですよ』 と言われたのです。
『それは 自己価値・自己愛 とも言います』 と付け加えてくれました。
昔からみればかなり、私は自己価値を見出していると思っていたのに、まだ言われるのです
どれだけ、自己否定をし、認めて欲しいと渇望してきたのでしょう…悲しくなります
去年のハワイ旅行前までは、前出のその人のように私も他人ばかりを気にして生きてたな~と思います。
「あの人は今頃…」と肉体から出て見に行けもしました 孤独と寂しさゆえです。
しかし、驚くべきことに、今やそれも出来なくなっています。他の人(特に友達)は気になるはなるのに、よっぽどで無い限り、自分から連絡はしなくなり、待てるようになったのです。(自分のことに忙しいというのが一番の理由ですが)
”渇望”から”GIFT”へ変換しよう! 他人軸から自分軸へ!
他人の素晴らしさと自分の素晴らしさ、違っているから地球人は面白いのです!
その人にもいつの日か、気付いてもらいたいものだと思う今日この頃です